ピアッジオグループジャパンのブースで多数のパネルの展示と歴史の
紹介が有ったんですけど、こちらの記述が気になりました。

(モデルイヤー表記ですと1年ズレます)で1983年まで、1976年にはVMA2T
の改良版としてET3(VMB1T)が登場します。VMA2TはVMB登場以降も併売
されてたそうです。日本国内ではET3が1998年頃まで入荷してました。
最初は金額も高いので、「よほどに好きな人かショップさんしか買わないだろ」と数が売れるなんて
皆さん思ってませんでした。実際、「あんなモノ、普通にポンチで叩けばいいんじゃないか」って批判
的な事も言われてました。
ところが意外に売れまして、量産&コストダウンを目指して、規格のボルトを加工すれば工数の節約
が出来るって松崎さんのアイデアで試作したのが左です。もし、お手持ちの「奥村式」がボルトを加工
して作られてれば、それも松崎さん製です。
ただ、最初期の「奥村式」がどちらで作られたかは知りません。奥村さんも金属加工関係のお仕事で
したので、そうした外注先だと思います。奥村さんにも松崎さんにも、聞きそびれてしまいました。
あと、2回ぐらい続きます。
右側はおなじみ、スモール系で存在を忘れてホイールを装着するとボコっと変形してしまうヤツです。
ドラムの固定ですね。これ、70542って番号なんですけど、ナゼかパーツリストでは図に載ってるん
ですが、部品番号が分からないで海外の専門店に注文できずに松崎さんに作っていただきました。
こちらもお使いになってる方は多いと思います。
左側の真鍮製部品、これはメーターの下側、ケーブル取り付け部のアダプターを作っていただきました。
海外ではV5系は速度メーターがオプションってトコも多く安い社外のメーターが沢山出回ってました。
国内にも"ちょっと違うメーター"とかで一時に出回りました。この社外メーターは汎用品なのでケーブ
ルの取り付け部分が10mm径、ところが純正で使われてるメーターは11mm径でした。社外メーターの
中にはケーブルが付属したのも有りましたが、付属して無いのも有りました。
別に10mm径用のケーブルを購入すればイイんですけど、11mm径用(つまり普通のケーブル)のネジ
部分を組み替えて10mm径に適応するアダプターを作っていただきました。
国内の規格で入手出来ない特殊なサイズのベアリングの場合はスペーサーを作ってい
ただきました。
左は12-37-17ってサイズが必要で6301の12-37-12に横幅を+5mmとして合わせてしまえ
って作戦です。右は12-42-13で6302の15-42-13の内径に押し込んで15mmを12mmにしま
した。
昼間は普通にお仕事をされてますので、会社には他の人もいらっしゃいます。夕方6時
過ぎ、「そろそろお仕事終わったかな?」って時間に簡単にスケッチを描いてFAXで送って
…、電話しますと時々に"社長"さんが出られまして「あ、あの…松崎さん、お電話口まで…」
とやや冷や汗モードだったりしました。
こちらの"オイルインジケーター"は松崎さんが残してくれたモノの一つで,
お使いになってる方も多いと思います。
金属を加工する大小の工作機械が、狭い通路だけを残して詰め込まれた
工場が松崎さんの仕事場でした。雑誌のガレージ紹介に登場した時には、
そのあまりの高密度ぶりに、恒例でした俯瞰図は無理とされました。
いろいろなモノを作っていただいたので、ご紹介させていただきます。
ただ、ちょっと時間を下さい。
オイルタンクの残量インジケーター部分、破損するのと交換も大変なの
でアルミで作っていただきました。
*"雑文"のカテゴリーも失礼なんですが、適当なカテゴリーも無いので、
とりあえずはコチラに書いてみます。「いいよぉ、別にぃ」って笑いながら
の声が聞こえて来る気がします。
これ、書庫をドコにするか悩んだんですが、入手した90年代にしてみました。
ドイツの電装メーカー、ヘラー社のバーエンドウインカーは4個が小さな黄色の箱に入って届きました。
この時に一緒に4枚が入ってたのが画像のプリントです。レンズは10個が平らな箱に入って来ましたが、
一回だけ同じ紙が入って来た事が有ります。縦143mm,横105mmです。
ハンドルに装着した状態でレンズの膨らみ部分が前後に向く様に設定されてる事が分かります。現在は
複数のメーカーで似た形状で販売してますが、中には膨らみ部分が無かったりします。もし、HELLAの
ロゴが入ったレンズをお使いでしたら、この先に入手は難しくなるかも知れません。大切にして下さい。
ENGINEって雑誌の2015年10月号がアルファロメオ特集で、
この中に「ベスパ初期の車体89台分はアルファロメオ社で
車体パネルをプレス」って小さな記事があったそうです。
この件が気になってたんですが、当時の生産台数の詳細が
こちらのLa Vespa 1946-1996(ISBN88-7911-162-0)にて
月別で紹介されてます。
足し算したかったのでこんな表にしてみます。
1946年ですと「98」っとなりますが、輸出用で125ccモデルが有
りました。現在、中古市場では98/125どちらも"高額物件"です。
表紙の絵はダスカニオ先生がD.A.T3開発の構想ノートに描か
れたモノだそうです。主に戦前の話ですので戦後のベスパにも
触れてはいますが、ヘリコプター研究について詳細に解説さ
れてます。
今に出版されてますダスカニオ先生の紹介はほとんどが
戦後にベスパで大成功を収めたピアジオ社って内容です
のでムッソリーニとダスカニオなんて資料はなかなか無く
興味を持って解読中です。
残暑お見舞い申しあげます。
整理してたら映画「ローマの休日」を特集したビバーチェ13が出て来ました。
ベスパのお話ではしばしば出て来る映画ですし、とにかく人気ですのでネット
上でもいろいろな話題が拾えます。で、当時のアメリカの社会的状況を…って
お話でも皆さん話題にされてます。
撮影が行われた1952年、監督のウィリアムワイラーや記者役のグレゴリー
ペックがアメリカを離れ、ローマにいた理由は映画製作の経費が安かった…
だけでは無くアメリカから追われた状況も有るそうです。
マッカーシズム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
映画発表時の原作はイアン・マクレラン・ハンターでしたが40年後の1993年
になってダルトン・トランボに訂正されました。トランボ氏もマッカーシズムの
中で友人のハンター氏の名前を使って発表せざるをえない状況に置かれて
ました。
こうしたハリウッドの騒動には後に映画「Easy Rider」ピーターフォンダの父、
ジェーン・フォンダも含まれました。
けっこー、前に書いた文なんですけど思いついたのでアップしてみます。