FIVからの手紙

FIV(Federazione Internazionale dei Vespa Clubs)の終わりは突然でした。
2005年12月、関係者には会社から新しい組織が出来るとの連絡があり、
同時に社内にはイタリア国内クラブ関係者がその主要メンバーになると
の発表が小さな記事であったそうです。
 
翌年2006年の春、FIVへの会社からの支持は無くなりました。これにより
FIVは運営存続は困難と判断し解散しました。
 
90年代中期、日本で2輪雑誌での特集や関連本が爆発的に出た時期
があります。たまたまで知り合った方からそうした日本の本をFIVで資料
として収集できないか?との話になり、送ってました。
決して予算豊富な協会では無いですし、急ぎの連絡はFAXや、やっとこ
さでメールが自由に使える頃でした。が、お礼はかならず丁寧な手紙で
いただきました。
たぶん、これが最後に船便で届いた手紙だと思います。
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サンヨウエンジニアリングのチラシ

サンヨウエンジニアリングは都内、足立区役所のちょっと先、西側にありました。
普通のお店とは全く違う雰囲気で、本業は研磨を中心にした機械加工、故奥村
さんのお店でした。
 
車両部門のお店は間口が3.6mの奥行きが7.2mほど。ここに修理車両1台分の
場所を残して左右や奥側は部品や工具で埋まってました。
 
現在にスモール系でフロントアクセルを抜くのに使われるハンマーパンチ式の
工具なんかは奥村さんの設計です。当時は例えばPXのクランク左側のベアリ
ングとかは今の様に簡単に入手できませんでした。そこで別の幅違いサイズを
切削加工して合わせました。このベアリングはかなり使われまししたので、もし、
古い車両のエンジンを開けてボール保持部分に左右0.5mm程度の加工跡があ
れば、コレです。
 
画像は奥村さんが作ったモノの一つ。この頃に盛んにSTDが国内に入って来ま
したが、あまりに程度が悪くエンジンを載せ換えるのが安く走らせる手段の一つ
でした。その際にホイールサイズを10"→8"へと変換が必要で、奥村さんは変換
キットを作成しました。
 
「いや、絞りで(ダストカバーを)作ったんだけど、Oリングのとこがさー」、カラーコ
ピーの簡単なチラシ、さらには壁に留めてましたので変色してしまいました。
 
サンヨウエンジニアリングを中心にしたSECってクラブが都内北部から埼玉を中
心にありました。一時はモトスクーターランでもかなりの大人数でしたが、奥村さ
んが亡くなってからは自然解散的な状況になりました。
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メッセージをいただいたのですが

ブログでのメッセージをいただいたのですが、お返事がなぜか出来ないので、
こちらに書いてみます。
 
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こちらのメッセージにつきまして気づきませんでお返事が遅くなり申し訳ございません。
また「お友達」等は申し訳無いんですが、全てお断りさせていただいてます。
 
個々のお尋ねにつきましては、お手数ですがヤフー智恵袋上にてお願いします。
やり取りがネット上に残れば他の方が同様の事で検索されました時に、なんらか
の参考になるかも…しれませんので。
 
車体番号とエンジン番号の差は判りません。車体番号は2種で全く別ですので、
車体番号の車種にダレかがエンジンを載せ変えたのでは?と思います。
 
また、何かあればYahoo智恵袋上にて書いていただければ、分かる範囲なら書き
込みしてみます。ではでは、せっかくに入手されました車体ですので、元気に走ら
せて楽しまれて下さい。
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トラックバックは可にしてますが、コメントこうしたブログでは延々とQ&Aが続く可
能性が高いので、不可にしてあります。
 

フェンダーライトの時計

これは2006年ごろに知人から貰いました。彼はショッピングセンターに
出展してた百均ショップの様なところで見つけたそうです。
 
外側は「フェンダーライト」のソノ部分を模して、時計の表側はコレです
から、本来はそんな安売りするモノとは思えなんですが、逆に言えば
一部の方にのみしかウケ無いデザインかもしれません。
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CAR STYLING 34 1981 SPRING

CAR STYLING誌が休刊だそうです。
 
1981"の春号ではジャンカルロペルーニ氏の35周年記事「Vespa and its maker Piaggio」
が和訳されました。歴代モデル、工場、会社の歴史、映画に登場する各モデルと背景、
社内、特にデザイン部門には重点が置かれ、ダスカニオ博士から歴代の代表的デザイ
ナーとその作品画、当時の現役モデルだったモペッドや3輪についても歴代モデルを含
め解説されてます。
 
日本では、これ以降の全ての「教科書」的な記事になりました。が、これほど詳しく書か
れた記事は以降にもありません。この記事はその後に通称で「青本」と呼ばれる冊子に
まとめられました。
 
この記事、最後にペルーニ氏以外の記事があります。スクーターの歴史を紹介した軽妙
な文章+スクーターの歴史を紹介する簡素な絵、須空多好彦氏。苗字が「スクーター」で
す。当時は国内メーカーで2輪デザイナーをされてましたS氏…だと思います。
 
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ミニカー?

アクリルの小さなケースに入ってるんですが、出すのが面倒なんで、
そのまま撮影してみました。下に置いてあるのは100円玉ですので
全長はだいたいで8mmぐらいです。
 
これは鉄道模型のNゲージ(9mm幅 1/148~160)用のスケールにな
ってます。92-3年頃に東急ハンズで見つけました。\300ぐらいだった
と思います。海外の知人連中にはムチャクチャにウケました。
 
赤、青、黄、黒、白、銀が確認できました。
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モトスクーターラン

80年代後半、秋の一日に秋が瀬の公園に集まって、情報交換して、
撮った写真は名前も知らないから翌年に渡す…、そんなのんびり
した集まりがスタートしました。
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「年に二回」となってるのはナゼか?っての後のモトスクーターランではクイズにされました。
 

Yahoo知恵袋がらみで

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Yahoo知恵袋でホイールの互換性って話があり、参考画像で後からアップしようとしたら、
出来ませんでした。「場所お借りしまーす」ってのに近いんですけど、自分のBlogなら文
句も言われないと思います(笑。
 
このオートマ系のドライブシャフト、ナットやロックの部分はハンドシフト系と同じです。
「変える必要の無いトコは変えない」ってだけなんでしょうけど。
 

オイルとクラッチスプリング

ET3のミッション側オイル交換。正確かつイーカゲンに量を測ってみたら210ccでした。

クラッチが滑るんで、ついでにスプリングのイタズラを考え中。

参考資料?、V90用?、強化スプリングと体重計で圧縮時の全長を計測。

自由長 42mm
5k:42mm
10k:41mm
15k:38mm
20k:37mm
25k:35mm
30k:33mm
35k:31mm
40k:29.5mm
装着の状態で圧縮されて30mmですので、加重は40kg程度って事になります。

憧れだったお店

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こちらのカタログは知人からお借りしたモノです。

80年代の渋谷や原宿は若者に人気の場所でした。そこで
ベスパに乗ってる人たち…、雑誌で何回も紹介される彼ら
彼女らは、多くのそれ以外の若者からはまるで御伽噺の様
に遠い存在でした。

そんな彼らがお店を作った。イタリア製のアクセサリーは
他のお店でも買えましたけど、いつでも在庫が見られる様
に雑貨屋さんスタイルで展示されてる場所はほとんどあり
ませんでした。オリジナルのジャケットにはクラブメンバ
ーで無いと買えないと注意書きがありました。

ベスパに乗ってても、そこに行くにはお金も必要ですが、
入るのはちょっと敷居の高い憧れの存在でした。お店の広
告が出てる雑誌を切り抜き、入手したお店のカタログを眺
めるだけで精一杯だった頃のまま、小さなチラシ1枚づつ
綺麗な状態で保存されてます。

お店のロゴが入った壁掛け時計を知人は持ってました。似
た時計を買って来て、自分でロゴを入れて作ったそうです。
「買えなかったから」…それくらい、このお店とその回り
のお客さんに憧れてた人がいる、そんなお店でした。