バラして確認できればイイんですけど、ちょっと時間が無いので
カンベンしてください。
キャブレターを装着した状態でギリギリにタンクが外せる程度で
す。これをタンクの脱着が簡単な様に長めにしますとチューブ途
中が変に湾曲、そこに空気が入って最初の流れが悪くなる事が有
ります。
バラして確認できればイイんですけど、ちょっと時間が無いので
カンベンしてください。
キャブレターを装着した状態でギリギリにタンクが外せる程度で
す。これをタンクの脱着が簡単な様に長めにしますとチューブ途
中が変に湾曲、そこに空気が入って最初の流れが悪くなる事が有
ります。
入れたオイルの種類や量にもよります。あと排気量でも差は大きいです。
通常2%(50:1)ですけど4%(25:1)でも、さらに125とかですと、けっこ
ー普通に(まー、何か変だなって感じは有るんですけど)走ってしまいます。
煙は多いですけど。
一方で50ですと3%(33:1)でも何か調子悪いな感は強いです。けっこー
25:1とか20:1とかを入れられてしまう事は多いです。疑わしい時にはガ
ソリンを入れ替えてしまうのが早いです。
書かれてます「アイドリングは普通にするけど、カブった様な症状」です
と、空吹かしもダメでしょうか?。もし、空吹かしは大丈夫だけど、走る
とダメでしたら、チョークを引くとどうでしょうか?。正常ならさらに盛
大にカブるハズなんですけど、これでエンジンが元気になって走る様です
とキャブレターのメインジェット側が汚れで詰まってる可能性が高いと思
います。
エンジンが止まった後、再始動は容易でしょうか?。
簡単に掛かる…ですと、点火系が振動等で外れるとかが
怪しい気がします。
ちょっと再始動には時間掛かるけど、エンジンが掛かって
しまえば何事も無かった様に好調でしたら、タンクから
キャブのガソリンの流れにちょっとした問題が有って、
特定の状況で発生してるかも知れません。
止まりそうな時にチョークを引くと症状に変化有れば
ガソリンの流れやキャブレター周囲が怪しくなります。
こちらのBLOGとしては比較的に新しいネタで、こちらは2011年にイタリアで
配ってましたLMLのカタログです。

秋に開催されるミラノショー、LMLは毎年に展示をしてました。2010年には
4stモデルの他に電動モデルも登場してました。

2011年(震災の年です)には突然に巨大なスペースとなり、思いつく限りの
改造がされた大量の車両が展示されました。イタリアでの価格は日本円で
25万円ほど。販売台数上位に入るほどに売れました。

現在、LML ITALIAのホームページ(http://www.lmlitalia.com/)は白い画
面が出るだけになってます。
web.archiveで今年3月以前が見る事ができます。
https://web.archive.org/web/*/http://www.lmlitalia.com/
2017/8/1415:57:46
体重が100kg前後とかですと難しいです。
簡単に確かめられるトコですと、まずはプラグの劣化
や汚れ。3速全開でチョークを引くとどうでしょ?。
これで加速する様でしたらジェットの詰まりが怪しいです。
もし中古で購入ですと、一通りにマフラーやクランク端の
オイルシールの劣化、中にはなんか普通に動くけど調子が
イマイチで開けてみたらピストンやリングにかなりの焼付
き跡で「これでも普通に動いてたけど…」なんて事も有り
ます。
いかんせん、すでに新しいバイクでは無いので、原因が一
箇所では無く、アチコチが少しづつ不調って事も有ります。
専門店さんがご近所に有れば、見ていただくのが確実だと
思います。
こちらは6月の画像からコピペで切り出し、加工しました。archive.orgで確認出来ます。
http://web.archive.org/web/20170602063026/http://www.vespa.com/it_IT/modelli-vespa.html

こちらが先程に確認でコピペ http://www.vespa.com/it_IT

PXの文字が消えてます。ちなみに、日本のWEBではまだPXのページは残されてます。
もう、国内新車在庫も台数はかなり限られてる様子です。いよいよ、最後の最後って感じです。
先日、近所でバイクの集まりがありました。毎回にちょっとネタを用意するんです
けど、今年は偶然に入手した昭和26年(1951年)の地元自動車屋さんの名簿でした。
1951年っていうと「ローマの休日」のモデル…でお馴染みですけど、この名簿を持
って諸先輩のトコでいろいろとお話を聞いて見ますと、日本で昭和26年ってのは自動
車関係で大きな変化が有った年になりました。田舎町の自動車事情もこの影響を大
きく受けます。
大きいのは燃料統制が解除されます。ガソリンが自由に入手出来る様になりました。
同時に裕福な人に限られますが乗用車を所有する事も自由になりました。それまでは
お医者さんや会社等、限られてました。
当時の自動車整備はそのほとんどがトラック等の大型車が対象です。戦時中には
市内の自動車整備関係は統合され、大型車を多数持ってる大手貨物会社(さらに上
位には鉄道会社が有ります)やタクシー、バス会社の一部門になります。
戦後、自動車整備はこうしたトラック、バス、タクシー会社の一部門から分離独立し
て、整備工場の開設になります。が、その形はタイヤ補修等の部品修理会を専門と
する工場として看板を出し、整備も並行する形になりました。
昭和26年には大通りに整備屋さんが並ぶ時代になりました。道路運送車両法も7
月に施行されます。
もし、お近くに気軽にお話が聞ける70代、80代の自動車好き、バイク好きな方がいら
っしゃればお話を聞いて見て下さい。けっこー面白い話が聞けます。ただ…ちょっと長
い話が多いのと、「ゼニカネ」絡みのモロモロな表に出せない話が多いですけど。
こちらの資料が大変に役立ちました。国土地理院の「空中写真サービス」各地域の
50年代の航空写真を見る事が出来ます。400dpiまでは無料で見る事ができます。
http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
いろいろ整理してたら、今日はこんなのが出て来ました。
1991年11月23日です

こちらが参加者に配られた冊子になります。中はイベントのスケジュールと参加者のリスト。
参加車両は122番までになります。参加者は二人乗りの方もいらしゃるので、もうちょっと
増えます。

OseOseは車両を押しての短距離走。中にはサイドカーを押してるとか、基本的には「楽しければOK」が
こちらのイベントの特徴でした。勢いがつき過ぎてブレーキのタイミングを間違え、観客に突っ込むお約
束?も毎回に有りました。
タイヤ交換レースは後輪を外す…んですが、90SSやET3ですと、その前にマフラーを外す必要がありま
す。Pですと空気を抜いておきませんと「ズボッ!」っと抜くのはちょっと大変です。ラチェットは1本まで…
とかって制限が後に出来たと思います。
ただ、急いでの作業ですので思わぬトラブルも発生で、本来はエンジン始動の後に3人が乗ってゴール
ですが、「ランブレッタのスタッドをぶち折って、車体を持ち上げてゴール」した組も有りました。

遅乗り…はラビット勢が毎回に頑張ってた印象です。
コンクールデレガンスの投票ステッカーが残ってるのは、たぶん最初に冊子をいただいて
そのまま仕舞い込んでしまったからだと思います。
こちらの部品カタログ、1980年5月27日に作成と記載されてます。

「成川プライス」とまで言われた小さな部品も\800ってのはこの時から始まってます。
90年代末ですが、ET3のクラッチスプリングが二重になった時に入るスペーサーは500円、
またプラグキャップのナット?が\300で「成川プライスの最低価格が下がった!!」って話の
種にはなりました。

今でしたらエクセルで作成、インクジェットなりレーザープリンターで出力ですけど、
この文字はドットインパクト以前の活字プリンターでは無いでしょうか?。
貰い物シリーズで大物到着です。中古屋さんに有ったそうです。

このパネル、ヤフオクとかで見かけますけど実物見たら車両部分は
木彫りで3D風になってるんですね。手作り感満載です。
今日、知人宅のガレージに行ったら壁面から天井のスペース全部に
ポスターとかチラシが貼られてました。昔のビッグランブリングのチラ
シとかも有って、なかなか楽しい雰囲気でした。