戦中のピアッヂオ表記

こちらは航空朝日1940年12月号で見つけました。
爆撃機となってますがP23の機体を改造した記録挑戦用の機体になります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Piaggio_P.23R

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「航空朝日」ってのは戦中から戦後(これは僅かですけど)に出た飛行機雑誌です。
戦後に2輪や自動車の開発に関係された方とのお話で、ナゼに自動車に興味を持
たれたか?ってトコでしばしば出て来るのがこの雑誌です。

当時に定期刊行の雑誌が買える中高校生ってのは、大都市に住むかなり裕福な家
庭ですし、この雑誌で航空機に興味を持って、その後の進路が工学系の大学、さら
に自動車メーカーに就職となった方は多かったそうです。

トランボ氏の映画

映画「ローマの休日」、原作のトランボ氏が当時に置かれてました状況について、
以前に駄文をアップさせていただきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/besupagasuki/archive/2015/08/13

トランボ氏の映画が公開されるそうです。
「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」
https://www.youtube.com/watch?v=AZDcBLwb4BY
こちらは日本向けの宣伝ですので「ローマの休日」が前面に出てます。

こちらもご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=ACgsq3NfeYg
https://www.youtube.com/watch?v=8kpvqZ5MwdE

書籍
TRUMBO  by Bruce Cook

トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
ハリウッド映画の名作を残した脚本家の伝記小説
単行本 – 2016/7/2
ブルース・クック (著), 手嶋 由美子 (翻訳)

集まりがあるってんで行って見た

調べれば正確な年月日も分かるんですけど、面倒なんで90年代の最初の頃です。
雑誌に「ベスパのミーティング開催」って出てたんで、八王子までノコノコと出かけ
て見ました。で、見慣れたスモール系は無く「古いの」ばかりが数台集まってました。

当時はスモールかP/PXしか見た事が無かったので、「スモールとP/PX」以外の
世界ってのは初めてでした。今にして思うと「その筋で有名な人」ばかりで、そこ
に何かツーリングなカッコーしたET3が1台ってのは浮きまくってました。

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この時、生まれて初めてベスパ屋さんって方にもお会いしました。「27-37-7のオ
イルシール、入手できますか?」ってのが一つ目の質問。

今なら簡単に入手出来るんですが、当時は国内輸入元と取引の有るお店に頼ん
でも、クラッチやブレーキシューでさへ届くのは数週間先、二ヶ月待って届かない
と再度に注文って感じでした。そこでオーナー間では中古部品のやり取りが盛ん
で、オイルシールも程度の良いのを封筒で送って貰ったりもしました。

中にはオイルシールのスプリング部分を切断、クルクルっと両端を重ねてちょっと
短くしてオイルシール簡易補強なんて技で対応するお店も有ったほどです。これ、
一時的には止まるんですけど、リップ部分がすでに限界ですのでスグに漏れます。

2時間程度でしたけど、皆さんでいろいろな話をしまして「ミニコミが作れたらいいね」
ってな話になりました。当時、弁当箱的なワープロから、表示画面が大きな今の
ノートPCに近い形状となり、コンビニコピー機を多用したミニコミがイロイロな方面
で登場してました。

MINI SCOOTER 912

今日、知人からいただきました。
全長約8cm。シートに1993 UK USA YCT? 中国製だそうです。
弾みグルマが内蔵の三輪車で、これが良く走ります。
この手の「ベスパ風」な安そうなヤツが好きです。

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子供服

こちら、ガレージの壁に吊るしてた「幼児用の半袖パーカー」?なんですけど、
ちょっと変色してしまいました。

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名札を見ると1996年になってます。これ、不思議な流通でベビー服のチェーン店等に突然
に大量に出回りましたが、地域がバラバラでした。確か、コチラは岡山の知人に送っていた
だいたと思います。関東ではTシャツが出回ったりして、当時にコレクター同士で情報交換
して入手してました。

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Cマークで商標はPIAGGIO VESPAと表記されてます。日本製。
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表はこんな風です。なにしろ幼児用ですのでサイズが小さく、壁に飾るには最適でした。

「アポロンの島」小川国夫著

こちらの本、幾つもの短編が入ってますが、「オートバイ」や「単車」が
頻繁に出て来ます。「ベスパ」や「スクーター」は出て来ません。ツーリ
グしてる場所は欧州各国です。

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その「オートバイ」はトランクが有るのですが、その中身を確認するには
荷台の振り分けバックを外す必要が有ったり、ガス欠で停まって通りすが
りの車からガソリンを分けて貰うと、混合用のオイルを気にする必要があり
ます。

シリンダー下にドロが溜まってしまったり、バッテリーが無いので峠の下
りではライトが暗く苦労してたり、始動にペダルを踏んでもエンジンが掛
からなかったり、豆の爆ぜる音が聞こえたりもします。

エンジンが掛からないとプラグを外して火花を確認、さらには発電機側コ
イルの配線を確認したり…します。

著者の小川国夫氏は1953年にフランスのソルボンヌ大学に留学、1954年
から56年に掛けて欧州各地や北アフリカをベスパで旅行し(56年の春には
事故で大怪我も)てます。

年式から考えますとフェンダーライトでは無いでしょうか?。この頃にベス
パで欧州各国を旅行してる日本人がいたって事に驚きました。

「ローマの休日」のフェンダーライトが来た頃

5月4日はオードリーヘップバーンの誕生日です。2000年のこの頃4/25-5/7、
日本橋三越で「オードリー・ヘプバーン:私のスタイル」展が開催されました。
こちらは会場で売ってた冊子です。

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この時、「ローマの休日」のフェンダーライトが展示されました。

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流れる人波に抵抗して車両の展示台に張り付きながらメモしたのが残ってます。
1)フロントスィングアームにロゴ入りアクセサリー
2)タイヤ ピレリ
3)センスタのゴムは短い方、シルバーに塗装
4)クラッチワイヤーはオリジナルだけどFブレーキワイヤーは交換されてる
5)スロットルワイヤーは外されてる
6)ハンドル右側部分にエルメスのスカーフ
7)ブレーキペダルのラバーはリプロ、ペダルはシルバーのペイント
8)キーホルダーはΩ型(イタリアで多いヤツ)
9)シート 前は緑系で修理、後は黒に近い紺の布地素材で白のパイピング。
 縫製跡が無いので接着剤仕上げ?

感じとしては、数年前に走らせようと一通りの整備をした感じでした。
他には映画ローマンホリデーの台本が展示されてました。E-13で広場を二人乗りの
スクーターが走り去るのを、アン王女が見つめるってシーンです。

松崎さんのフロントブレーキ

スモール系の前輪ブレーキをもう少し強力に出来ないか?ってのはしばしばに皆さんで
話題にしてました。

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右側は150mmシュー用のドラムです。
スモール前輪のブレーキサイズは直径125mmで幅17mm(15mmって表記も有る)です。
ピボット側シャフトと作動カムの位置はラリー/スプリントのシューと同じです。こちらでし
たら直径150mm幅25mmですので外径も幅も大幅に稼ぎ出せます。

そこで、シュー(カム側の加工が必要です)に対応したドラムを松崎さんに作っていただ
きました。これ、3種類ほど有って、初期は鉄材からの削り出し、次に軽量化を目指して
最終型では接触面のみ鉄材でアルミ鋳造まで行きました。

結果から言えばスプリント/ラリー並まではそのままでは無理で、他にレバー比の変更
も必要でした。この部分の交換だけですと「少しは違うけれども…」…と微妙な状況(笑)。
ただ、「振動する」「シューの加工が無理」「音が出る」等々理由で返品とかも有り、以降
は作らなくなりました。シュー側の加工をして出した"変換キット"も出てました。

他にSTD初期/スーパーの後輪に使われてる127mmタイプ+BAJAJの後輪ドラムを加
工流用のアダプターも有ったハズなんですけど、現在に見つかりませんでした。

左側はMTB用のメカニカルディスクブレーキキャリパーを使った前輪ブレーキです。
例えばドラムでも油圧を使えれば、もっと効くハズですが、マスターの装着やメンテ、そ
れに「安く」となりますと、出来ればワイヤー操作で…と話が進んでた頃の一つです。こ
ちらも、本体側への加工は最小限を狙ってます。まずはこの小さなキャリパーで十分に
効くか?って実験ではPX後期の前輪程度は効きました。ただ、ミニサーキットで調子に
乗って走り回ってますと、フェードまでの時間は長くは無く、もう少々大容量のメカニカル
キャリパーを探すってトコで止まってしまいました。

「効く」と言ってもレバー側のワイヤー末端太鼓が差し込まれる穴が変形するほどの使い
方ですので、今でしたらPK・XL用フォークにインド製の足回りを組み合わせた方が安く出
来ると思います。

東京モーターサイクルショーに行って来ました

東京モーターサイクルショーに行って来ました。
ピアッジオグループジャパンのブースで多数のパネルの展示と歴史の
紹介が有ったんですけど、こちらの記述が気になりました。

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テクニカ等の資料によりますと、プリマベラ(VMA2T)が登場したのは1967年
(モデルイヤー表記ですと1年ズレます)で1983年まで、1976年にはVMA2T
の改良版としてET3(VMB1T)が登場します。VMA2TはVMB登場以降も併売
されてたそうです。日本国内ではET3が1998年頃まで入荷してました。

松崎さんの工具製作

こちらはスモール系のフロントアクセルシャフトを抜く工具、サンヨウエンジニアリングの故奥村さん
が設計製作で「奥村式」って呼んでます。

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最初は金額も高いので、「よほどに好きな人かショップさんしか買わないだろ」と数が売れるなんて
皆さん思ってませんでした。実際、「あんなモノ、普通にポンチで叩けばいいんじゃないか」って批判
的な事も言われてました。

ところが意外に売れまして、量産&コストダウンを目指して、規格のボルトを加工すれば工数の節約
が出来るって松崎さんのアイデアで試作したのが左です。もし、お手持ちの「奥村式」がボルトを加工
して作られてれば、それも松崎さん製です。

ただ、最初期の「奥村式」がどちらで作られたかは知りません。奥村さんも金属加工関係のお仕事で
したので、そうした外注先だと思います。奥村さんにも松崎さんにも、聞きそびれてしまいました。

あと、2回ぐらい続きます。