1953年の世界1周

イメージ 1

イメージ 2

終戦後8年、二人のドイツ人がフェンダーライトでトレーラーを牽いて
日本を走ってます。

H Diether EbelerさんとCountess Dagmarさん、26歳と25歳の二人。
ドイツでは2人ともジャーナリストの仕事をし、出会いはラジオ局で
の仕事だそうです。

現在にネットで見るとエベラーさんの多くの記載があります。英語で
書かれた多くの記事は1953年に北米で取材された時のモノが多い
です。

1952年の9月に彼らはドイツを出発、ヨーロッパを縦に抜けてイタリ
アからギリシャへ、トルコからインド、セイロンからインドネシア、シン
ガポール、シンドネシア、香港、マカオそして日本を経由して北米に
渡ります。

北米までの走行距離は10万km、この内の5万kmは4馬力で40km
で走行。100kgもの荷物を載せたトレーラーを牽引した彼らは120km
ごとに給油の必要がありました。1953年の7月に彼らは日本を発っ
てポートランドに到着。(以上The Times 4-10-55より訳)

NEW YORKER(12-24-53)誌の記事でエベラーさんはアジア各国の
感想を聞かれ、こんな風に答えてます。

「日本の若者は希望を持てないでいます。彼らは宗教や天皇も信じ
られない状況です。国は小さく、大きな夢も描けず、辻褄の合わない
状況にいます。」

と答えてます。終戦から8年目の日本を彼らは確かに走ってます。

画像は2枚、一枚は箱根の大鳥居、もう一枚は初夏の富士山がバ
ックにあります。(画像引用Piaggio Magazine #41)

大鳥居の画像には箱根まんじゅうの看板。その右側にあります街灯
の石積み部分は現在でも残ってます。

知りうる限り、この2枚が国内で写されたもっとも古い画像になり
ます。なにしろ1953年に輸出入法が改正されるまで輸出については
ともかく輸入は事実上の制限がされ、例えば外国為替銀行ってのは
翌年の1954年まで無かったんです。

ちなみに日本で海外旅行が自由化されるのは1964年です。それ以前
は「業務」以外で日本人は海外に行く事は出来ませんでした。この
時代に2人が日本を走ったのが、どれほどの苦労の末だか…今の私
たちに想像は出来ないと思います。